男性用トイレの「人がいない場合でも水が流れることがあります」という表記を見るたびに「言わんとしていることは何?」と思ってしまうひねくれ者は、私だけだろうか。
わざわざシールを作って便器に貼るくらいだから、どうしても伝えたいメッセージなんだろう。
それはわかる。でも意図がわからない。
「人がいない場合でも水が流れることがあります」と言われたところで「ほぅ……」といった平々凡々なリアクションしかできないけれど、これでいいのだろうか。
しかもわざわざご丁寧に、「人がいない場合でも水が流れる」理由について下段で説明してくれちゃっている。
「においや排水管の汚れを抑制するためです」と。
これまた「ほぅ……」な補足情報である。
このシールがいったい誰の役に立っているのか考えてみた。すくなくとも私にとってはなんのメリットもない。
だが世の中にはこの説明のおかげでスッキリしている人もいるのだろう(私はモヤモヤしている)。
たとえばどんな人の役に立つのか。
まず考えられるのは、「心霊現象だぁー!」と騒ぎたてるオカルト君だ。
「人がいないのに……!誰もいないのに水が流れたぞッ!……僕ははっきりと見てしまった!この目で……ッ!ギィィヤァァァー!」と一人で勝手に盛り上がるオカルト君である。
彼らにとって「人がいない場合でも水が流れることがあります。においや排水管の汚れを制御するためです」の表記は、「この界隈を血だらけの女が徘徊することがあります。でもそれは気のせいです」みたいなもので、なぁーんだそうだったのか、といった安心感をもたらしてくれる。
だからこれは、オカルト君への配慮である、と考えることができそうだ。
だが裏を返せば、制御不能な心霊現象をごまかしているだけ、とも解釈できる。
どんなに除霊をしてもお札を貼っても塩を撒いてもキャンディーをぺろぺろしても、なくならない心霊現象(幽霊にセンサーが反応?)。だったら偽りの説明をしちゃえ、と。
そう考えたらやっぱり怖いし、そうした憶測を呼んでしまう余地があるせいで、かえってオカルト君を刺激することにもなる。
だからこの表記がもし「心霊現象ではありません」を意図したものならば、逆効果になっちゃってるから貼らないほうが賢明だといえるだろう。
このあたりでいったんオカルト君のことは忘れて、他の人についても考えてみよう。
次は勝手に流れる水を見て「故障だー!故障したぞー!」と騒ぎ立てる勘違い君について。
正常の動作なのに、いちいち「壊れてますよ」なんて連絡があったらメーカーはやってられない。だからシールを貼って説明しておこう、と。なるほど。
たしかに用を足している最中に他の便器がすべていっせいに放水をはじめたら、「え?故障?」と思ってしまうのも無理はない。
そんな人に向けた「故障じゃないよ」のメッセージ。これだ。これしかない。
トイレの製造メーカーはなんて親切なんだろう。
わざわざ「びっくりさせちゃってごめんね。それ、故障じゃないし心霊現象でもないよ。ただの設備保護なんだ。テヘッ」だそうだ。
いやはや恐れ入る。じつにありがたい配慮じゃないか。ユーザー目線に立つとはまさにこのことである。
めでたしめでたし、と終わるかと思いきや、まだ終わらないのが「ブドウ糖の浪費」だ。
ブドウ糖をもっともっと浪費しちゃうゾ、ってな心意気である。
だから読者が望むと望まざるとにかかわらず、この記事はつづく。
ここまでは性善説に基づいて推論を展開してきた。
つまりあの表記は善意に満ちたメッセージである、と。
ではここからは、性悪説に立って考えてみる。平たくいえば「全員めちゃくちゃ嫌なヤツら」と仮定するということ。
この世は悪意に満ちているとした場合、あのメッセージに込められた想いは180度ひっくり返ってしまう。
自分一人が用を足しているだけなのに、並んでいる10もの便器がいっせいに放水をはじめたらどう思うだろう?
ある男は「ポルターガイストだぁ!」とわめき、またある男は「ぶっ壊れたぁー!」と声を張りあげる。
そしてこういう男もいる。
「俺のオーラっつーの?オーラ的なやつ?ヤバくね?全部反応しちゃってんじゃん?ホラ?マジでヤバくね?俺のオーラ」と悦に入る男も。
そんな悦に入った男の頬をぴしゃりと叩いて目を覚まさせる。
「それ、アンタのオーラじゃないから。ただの設備保護だから。それ以上でも以下でもないから」と。
「人がいない場合でも水が流れることがあります」には、そんなメッセージを読み取ることもできるわけだ。「あなたのオーラじゃねぇです」という、他人の夢をぶち壊してしまうような、痛烈なメッセージを。
そう思うとこの表記は考えものだ。毒にも薬にもなりうる。
ある者はこの表記を見て安堵の表情を浮かべ、またある者は、どんな表情を浮かべているのか確認できないほどに落ちこみうなだれる。
そんなことがあっていいのだろうか。いや、いいはずがない。小便をしているわずか20秒の間に、これほど感情の起伏があっていいはずがない。
SAのトイレから戻った旦那が「俺はもうダメだ」とげっそりしていたらびっくりしてしまうだろう。
だが妻はその理由について皆目見当がつかない。なぜならあの表記は男性用トイレオンリーだから。旦那がトイレで「オーラゼロ!」とけなされてきたことなど、知る由もないのである。
長くなってきたので、そろそろ結論を提示して終わりにしよう。
まずこのメッセージの問題は、放水を目の当たりにした者が誤解する、シールがその理由を説明する、という流れにある。これだと遅い。そもそも利用者に誤解を与えてはいけないのだ。
だからまずはシールを剥がそう。こんなモノは必要ない。
今後は、「これから水を流すけど、故障でも心霊現象でもないよ。ましてや、あなたのオーラが凄すぎるわけでもない。ただの設備保護洗浄でーす。それじゃあいきまーす。レッツほーうすぅーい!」の音声ガイダンスを流す。
ガイダンスを流してからすべての便器に水を流す。
つまり、遊園地のパレード告知スタイルを採用するってわけだ。
「こぉーれかぁーらはぁーじまぁーるよぉー」的な。
これなら誰も傷つかないし、みんなが笑顔になれる。トイレってそういう空間だと思う。本来は。
(この記事では、すべての男性が抱えている心のモヤモヤを代弁しました。「そうそう!俺もこれが言いたかったんだよ!」の声が聞こえてくるようで、書いた甲斐があるってもんです。読んでスッキリしていただけたのなら、これほど嬉しいことはありません。だって謎でしたもんね、あのシール。謎でした……もん……ね?)
謎であれ、あのシール。
(トイレでこのシールの写真を撮っているときに誰も入ってこなかったことに感謝します。「ニヤニヤしながらトイレの写真を撮ることがあります」の表記は、私にはありませんので)