料理のレシピにちょくちょく出てくる「適量」という表現が気に入りません。
「ごま油 適量」「しょうが 適量」などです。
いや、わからないから!
と思いませんか?
具体的な数字が知りたいんだこっちは、と。
このモヤモヤをどこへぶつけたらいいのかわからなかったので、とりあえずブログにぶちまけてみました。
どこかの誰かに共感していただけると嬉しいです。たとえばそう、あなたとか。
料理の「適量」がわからない
レシピ本やレシピサイトに頻出する「適量」という表現をやめてほしいと思います。
ずっと丁寧に「醤油大さじ3 みりん大さじ1」などと説明してくれていたのに、とつぜん「しょうが(チューブ) 適量」だなんて、そんなのあんまりです。
こっちは作り方がわからないからレシピを見ているのに、適量などといわれても、わかるはずがありません。
「適量……適した量……はて?」となり、モタモタしているうちにどんどん肉が焦げていきます。
なぜ表現をぼやかすのか?
どうして「適量」などとぼやかした表現をするのかがわからないんですよね。
しょうがだってラー油だって、計量可能です。小さじ2などと指示してもらえれば、こっちは素直に従うつもりでいるのです。
私のような料理の素人には、しょうがの適量などさっぱりわかりませんし、皆目見当がつきません。
ですから、なんて不親切なんだろう、と思ってしまうわけです。
「七味唐辛子 適量」というのも見たことがあります。
「お好みでどうぞ」ということだとは思いますが、せめてプロの場合はどれくらい七味を振りかけるのかを教えて欲しいのです。
少々なのか、小さじ1なのか。
出来上がった料理に自信が持てない
レシピのなかに2つ、あるいは3つもの「適量」が含まれているケースもあります。
こうなるともう、出来上がった料理にいっさい自信が持てません。
一口食べて、「私が目指していたのはこの味でいいの?」と不安になります。
私はレシピに忠実に作られた美味しい料理が食べたいのであって、自分のオリジナリティがふんだんに盛りこまれた料理など食べたくないのです。
逃げ道を確保しておきたい
どうじに、逃げ道を確保しておきたい、という卑怯な気持ちもあります。
たとえば家族に「美味しくないね、これ」といわれてしまった場合。
レシピに忠実に作っていれば、自信を持って「いや、レシピ通りだから。レシピがイマイチなんだな」と責任逃れできます。
ですが、いくつかの「適量」が含まれたレシピだとそうもいきません。
その料理には私の裁量が反映されており、もし美味しくないのだとしたら、私の裁量がまちがっていた(つまりしょうがの量が適切でない)可能性が高いわけです。
……ここまで書いて、私は気づいてしまいました。
そうか、これはレシピ作成者の責任逃れなのだ、と。
本当に逃げ道を確保したいのは……
なるほど、本当に逃げ道を確保したいのはレシピ作成者だったわけですね。
もしユーザーから「レシピ通りに作ったけど美味しくない」というクレームがあった場合に、言い逃れができます。
「しょうがを入れすぎたんじゃないですか?」「七味のかけすぎでは?」と。
適量という曖昧な表現を使ってぼやかすことで、我々はいつの間にか共犯にさせられていたのです。
できあがった料理がマズかったとしても、誰が悪いのかわかりませんからね。
なんて巧妙なんでしょう。まったく、感心してしまいます。
まとめ
料理の「適量」はわかりません。わかりっこありません。
もしも本当に責任逃れなのだとしたら、これから先も「適量」という表現がなくなることはないでしょう。
相変わらず我々はしょうがの適量がわからずに悩み、サラダ油の適量がわからずに苦戦するわけです。
たまたま上手にできたとして、次回もおなじ味で作れる保証はありません。
なぜなら、自分が前回「適量」でどれだけ入れたのかがわからないから。適量は再現性をも奪います。
なんて不便なのでしょうね。
適量だなんて……お前の好みで決めろだなんて……そんなスキルがあったらこんなレシピ見てねぇわ、という話なのですが……。
以上、料理の適量が分からない、でした。
なお「レシピ作成者の責任逃れ 」が結論です。
料理といえば私は辛い食べ物が好きなのですが、あれって、食べるときより出すときのほうがツラくないですか?