雪かきって重労働で面倒くさいですよね。
なにより、放っておけば雪は溶けます。
合理的に考えれば「どうせ溶けるんだから雪かきなんてやっても意味がない」という結論に至ります。
そこでこの記事では、
- 雪かきは本当に必要なのか
- 雪かきをサボって失うもの
など、雪かきの必要性について考えていきます。
ぜひ参考にしてみてください。
雪かきに「必要性」を感じない
日本には四季があるので、降った雪がいつまでも溶けずに残りつづけることはありません。
どんなに大量の雪であっても、春になればすべて確実に溶けます。
だからこそ、雪かきが無意味に思えてしまうんですよね。
「春になれば」というのは極端な喩えで、たいてい昼になれば気温が上がって雪は溶けます。
早朝から雪かきを頑張らなくても、放置しておけば昼には溶ける。
そう考えると雪かきをするのがバカらしく思えてきます。
寄せた雪が残ってしまうパラドックス
あまり大きな声ではいえませんが、私は雪かきが嫌いです。
どうしても雪かきに必要性を見出せないため、できるだけ手を抜くよう尽力しています。
私は降った雪をそのまま放置している。
向かいの家の住人は雪かきをしている。
こんな状況はよくあります。
ところがです。
昼になって日光が当たりますよね。我が家の前にあった雪がすべて溶けます。
「やらなくて正解だった」と判断の正しさを確認します。
でも向かいの住人が山のように寄せた雪は、まだ溶けていません。
彼らの費やした時間と労力がムダでないとしたら、いったいなんと呼べばいいのでしょうか?
なぜ人々は無意味な雪かきをするのか
「雪かきをしなければ歩けない」ような豪雪地帯はべつとして、たいていの地域では雪かきをする必要などないと思います。
ヨガマット程度の厚みの積雪なら放っておけば溶けるからです。
むしろ、放っておいたほうが(雪を薄く広げておいたほうが)よく溶けるからです。
つまりサボっているのではなく、合理的選択をしているに過ぎない。
ではいったいなぜ人々は雪かきをするのか。
それは世間体を守るためです。
雪をかいて「善人っぷり」をアピール
雪かきとは「私は常識のある立派な人間です。みなさまの迷惑にならないよう、時間と労力を使って環境を整備してしまう善人なのです」というアピールなんですね。
「あなたの近所に住む私はこんな良識ある人間ですぞ。安心してくだされ」的な。
これが動機のすべてとはいいませんが、少なからず動機に含まれていることは確かです(本人が自覚しているかどうかはともかく)。
雪かきをサボって失うもの
雪かきをすることで「善人っぷり」をアピールできるといいました。
私はこの(地域という)コミュニティにとって害のない人間ですよ、と。
ということは、雪かきを放棄して失うのは「周囲からの評判」ですね。
- なんて非常識なんだ
- 自分は良くても周囲が困るのに
など、近隣住人にあれこれ思われること請け合いです。
つまり嫌われます。
もしあなたが「どうせ溶けるのになんで必死に雪かきなんてするんだろう?」と感じているとしたら、その答えはこうです。
近隣の人々が発しているのは「歩きやすい道路」ではなくて「信用」だから。
まとめ
雪かきというのは、誰もいない真夜中の道路で出すウインカーといっしょです。
合理的に考えれば"必要ない"わけです。
とはいえ、必要ないからといって雪かきをサボると、近隣住人に嫌われるかもしれません。
シンプルに自分が滑って転ぶかもしれません。
それなりにリスクはあります。
雪かきは物理的に必要というよりも、社会的に必要な行為なんですね。
「私はみなさんのために時間と労力を差し出す人間です」とアピールできるのが雪かきです。
自宅のまわりにだけ雪が残る状況は「こいつは社会性のない非常識な人間だ」という見せしめです。
もしあなたの家庭内で大きなトラブルが起ころうものなら、「あのご家庭は雪かきもしませんし……ちょっと変わってました」などと、近隣住民は嬉々として取材班のインタビューに答えることでしょう。
雪かきをするのは(労力的に)面倒くさいことですが、しなければしないで(社会的に)面倒くさいことになる。
雪が降るのは面倒くさい。冬のバカヤロー。
これが結論です。
なんというかまぁ、春の到来を待ちましょう。
以上、雪かきの必要性についてでした。
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