流れるウインカーの正式名称は「シーケンシャルウインカー」です。
シーケンシャルは「連続的な」という意味。
シャラララと連続してウインカーが点く様を表しているんですね。
この記事では、
- 流れるウインカーはなぜダサいのか
- 流れるウインカーはなぜウザいのか
など、「流れるウインカーがダサい理由」について書いてきます。
ぜひ参考にしてみてください。
流れるウインカーがダサい2つの理由
ウインカーは点滅するのが一般的です。
が、 ウインカーを「流れ星」のように点滅させているクルマが一部存在しますね。
差別化、高級感、特別感。
どんな印象を狙っているのか不明ですが、
- ダサさ
- ウザさ
- 不快感
- 気持ち悪さ
- カッコ悪さ
などはバツグンです。
では、どうして流れるウインカーに拒絶反応を示してしまうのでしょう?
1. 優越されてたまるかという意地
流れるウインカーは、もともと高級車で多く採用されていました。
なぜなら、ウインカーを流すためにはLEDを使用しなければならないから。
LEDは通常のライトよりも高額です。
しかも、流すためにはたくさんのLEDを並べる必要があります。
こうして(無意味なところまで)贅沢にコストをかけられることが、高級車である証だったんですね。
流れるウインカーには高級車のイメージがある
したがって一般的に、「流れるウインカーすなわち高級車」というイメージがあります。
あからさまに「高級車だぜ」とアピールされると、良い気はしません。
そこで、
- ダサいもーん
- キモいもーん
- 要らないもーん
- カッコ悪いもーん
と流れるウインカーを否定することで、相手の優越をブロックする。
そんな心理が働いているのではないでしょうか。
全身をブランド品でコーディネートしているお金持ちを見て「下品だよね」と批判したくなる心理といっしょです。
根底には悔しさがあって、でも負けを認めるのは悔しいから、「ダサい」と否定しているのかもしれません。
2. どっちに曲がるのか分かりにくい
流れるウインカーの調子に乗ってる感じ云々を抜きにしましょう。
ほかに考えられるのは、分かりにくさからくる苛立ちです。
流れるウインカーって、直感的にどっちに曲がるのかが分かりにくいんですよね。
通常のウインカーだったら、ボディ右側が点滅していたら右折、左側だったら左折です。
なにも難しいことはありません。
が、流れるウインカーを見たドライバーは、「流れる方向」にまで気を取られてしまうんですね。
「流れる方向」に気を取られる
たとえば、相手から見てボディ右側のウインカーが流れていたとします。
が、ボディの外側に向かって流れるのではなく、中心に向かって流れていたら?
光っているのは右側だけど、流れている方向は左。
結局どっちに曲がるの、っていう。
もちろん、こんなややこしいことにはなりません。
流れるウインカーはボディ中央からサイドへ向かって流れていきます。
しかしながら、私たちは無意識のうちに「どっちに流れているか」、つまり流れる方向を確認し、曲がる方向を判断しているんですね。
端的にいえば、分かりにくいんです。
ボディ右側だけをピカピカ点滅させればいいのに、そこへ「流れる方向」という要素をプラスしているばかりに。
判断すべき要素を増やされたイラつき
したがって周囲のドライバーは、
- 左右どちらのウインカーが点いているか
- それは左右どちらに流れているか
という2つの要素を、瞬時に判断し、相手の動きを予測しなければなりません。
面倒なんです。
ただでさえ処理すべき情報が多い道路上において、これ以上ややこしい判断をさせないでくれ。
シンプルに点滅させてくれ、ってなもんです。
このわかりにくさ、不親切さ、(イケてると思って周囲に迷惑をかける)身勝手さにたいし、イラついてしまう。
腹が立ってしまうのではないでしょうか。
まとめ
流れるウインカーのダサさについて、根底にある心理を考えてきました。
- 優越への対抗心
- 複雑化への苛立ち
無意識に生じたこれらの不快感が、ダサい気持ち悪い失せてほしいという感情となって表層化しているのだと思います。
前者はともかく、後者は迷惑ですね。
流れるウインカーは、交通社会において処理すべき情報を増やすだけの厄介なシステムです。
したがって、法律で禁止すべきです。
ネズミ花火みたいにグルグル回るウインカーが登場する前に。
以上、流れるウインカーがダサい理由でした。
ウインカーのダサい仕様に関して、当サイトにはこんな記事もあります。
後方録画中ステッカーの見苦しさについて、当サイトにはこんな記事があります。
意味不明なミニバンのエアロパーツに関して、当サイトにはこんな記事があります。