公共の場で抱き合ったり、キスをしたりするカップルにたいして、多くの日本人は寛容ではありません。
人前でイチャイチャする行為を良しとしないのが、日本の文化だからです。
ゆえに、電車のなかで抱き合っているカップルは、周囲から白い目で見られます。
ショッピングモールのベンチで抱き合っているカップルは、警備員から注意を受けます。
ところが、です。
世の中には「カップルYouTuber」なるものが存在します。
これはいったい、どういうことなのでしょうか?
この記事では、「なぜカップルYouTuberは良くて街中でイチャつくカップルは許せないのか」について書きました。
ぜひ参考にしてみてください。
なぜカップルYouTuberは良くても街中でイチャつくカップルは許せないのか?
あなたはこう思ったかもしれません。
「いや、カップルYouTuberも良くないよ。気持ち悪いよ」と。
事実、カップルYouTuberがやっていることは、電車内で抱き合うカップルとほとんどいっしょです。
ラブラブっぷりを動画におさめて全世界へ発信しているという点において、カップルYouTuberのほうがタチが悪いとさえいえます。
とすれば、カップルYouTuberが許される理由はますますわからなくなります。
ここであなたは次のように思うかもしれません。
「カップルYouTuberは見たい人だけが見るから問題ないのでは?」と。
では、この点について考えてみます。
公共の場でイチャつくカップルは見てしまう?
- カップルYouTuber:見るか見ないか選べる
- 街中イチャつきカップル:見てしまう
どうでしょうか?
なんだか違和感があります。
というのも、街中でイチャつくカップルにたいしても、私たちは視線を外して「見ない」という選択をとれるからです。
金縛りのように身動きが取れなくなり視線が釘付けになってしまう、などということはありません。
公共の場でイチャイチャするカップルを不快に思うなら、見なければ良いだけです。
このように「見るか見ないかを自由に選べる」のは、カップルYouTuberも、公然イチャイチャカップルも変わらないといえます。
子どもに見せたくない?
カップルが抱き合ったりキスをしたりしている様は、親として子どもに見せたい光景ではありません。
教育上よろしくないからです。
ゆえに、子どもを持つ親にとって、街中でイチャイチャしているカップルは悪しき存在です。
不快に感じたり、マナーの悪さに怒りを覚えたりするのは自然です。
しかしそれは、カップルYouTuberとて変わりません。
スマホやタブレット端末でYouTubeを閲覧している子どもは大勢います。
トップページや関連動画などを通して、子どもがカップルYouTuberを目にするリスクは存在しているのです。
まとめ
カップルYouTuberと街中でイチャつくカップルは、おなじ存在です。
両者に差はありません。
ただし、カップルYouTuberはラブラブな姿を動画におさめることで、コンテンツとしています。
いっぽうで、街中でイチャつくカップルはコンテンツになっていません。
コンテンツ化すればいい
つまりこれは、表現方法の問題なのです。
公共の場では嫌悪されてしまう行為でも、インターネットを介して配信した途端にコンテンツとなり、エンターテインメントと化します。
エンターテインメントであれば、一定数のユーザーがそれを楽しもうと閲覧します。
「素敵」という感想なのか「マジキモい超痛い」という感想なのかはさておき。
つまらない朝食を写真にとってSNSにアップしただけで、それはもうコンテンツになります。
このように無価値なものを意味のあるものに見せかけてくれるだけでなく、モラル的にNGとされている行為すらも、エンターテインメントにしてくれます。
コンテンツの門戸はめちゃ広く、懐はめちゃ深いのです。
街中でイチャつく露出好きカップルに居場所を与えた、すなわち街を健全化したという点において、私たちはYouTubeに感謝すべきなのかもしれません。
ついでに、酔っ払って駅でゲロを吐くオッサンもYouTubeの世界に移行してほしい。
以上、なぜカップルYouTuberは良くて街中でイチャつくカップルは許せないのか、でした。
結論。両者の本質はいっしょ。見せ方がちがうだけ。ただし、街中でイチャつくカップルは1円にもならないが、カップルYouTuberは動画を通じて広告収益やら人気やらをゲットできる。純愛なのは、どっち?
カップルYouTuberは、いったいどんな目的で動画を投稿しているのでしょうか。
カップルYouTuberの動画は、どこにニーズがあるのでしょうか。