スマートスピーカーが普及し、声であらゆる操作ができるようになっています。
調べ物や音楽の再生など、端末を操作しなくても、声で命令すればデバイスが反応してくれるわけです。
AI技術の発達により、今後この流れはますます進んでいくことでしょう。
カーテンを開ける、電気を点ける、お湯を沸かすなど、ソファに座ったまますべて声で操作できる家なども登場しています。
が、吃音にとってはいずれも関係のない話です。
なぜなら、喋るのが大変だからです。
この記事では、「吃音とスマートスピーカー(音声操作)は相性が悪い」という現実について書きました。
ぜひ吃音の苦悩をご覧ください。
吃音とスマートスピーカーは相性が悪い
さまざまなデバイスにおいて、音声操作が主流になりつつあります。
「声だけで指示できるのはラクだから」というのがその理由です。
とはいえ、すべての人がその恩恵にあずかれるわけではありません。
たとえば吃音症に悩む人にとって、音声操作など無縁の話です。
なぜなら、喋るだけでひと苦労だからです。
私は難発性吃音症(ブロック)の症状があり、ときどき言葉が詰まって喋れなくなることがあります。
「建物」といいたいのに「た」がいえない、といった具合です。
吃音だから指で操作したほうがラク
ときどき言葉につっかかってしまうため、喋る際には緊張します。
「言えるかな、大丈夫かな」と不安になってしまうわけです。
これでは、スマートスピーカーやスマートハウスなど、とても手に負えません。
「カーテンを開けて」とAIへ伝えようとするたびにドキドキしていては心臓に悪いですし、吃音の症状が出て言葉につかえたら、精神的ショックを受けます。
どうにか言葉が出たとして、どもってしまうこともあります。
「カ、カ、カカ、カカカーテンを開けて」では、いくら賢いAIでも、こちらの意図を理解できないでしょう。
「スミマセン。モウ一度オネガイシマス」とAIに要求され、落ち込むだけです。
だったら、最初から声で操作などせず、体を使います。
カーテンを開けたかったら黙って自分の手で開けますし、電気を付けたかったら黙って自分でスイッチを押します。
吃音がある私にとっては、そのほうが楽だからです。
音声操作は吃音に優しくない
世の中に音声操作が普及すればするほど、吃音を抱えている者は、日常で劣等感を覚える場面が増えていきます。
声だけで操作できる家電が話題になっているとします。
吃音だから操作できない、と落ち込みます。
ドライバーと会話できる自動車がテレビで紹介されているとします。
吃音だから自分でエアコンを調整しなければならない、と凹みます。
声に反応してくれるロボットが人気だとします。
我が家にやってきても私は話しかけないから、寡黙なロボットになってしまうと思い、切なくなります。
声でできることが増えれば増えるほど、吃音者にとってはできないことが増えていきます。
これまでは「声だけでカーテンを開ける」なんて項目はなかったのに、いきなり誕生します。
そして、劣等感だけを植えつけてきます。
今後おそらく、声だけで調理できる家電が誕生するでしょう。
そのとき私は不貞腐れます。
あるいは、声だけで目的地まで行ってくれる自動運転車が登場することでしょう。
そのとき私は、指でポチポチと目的地を入力しながら、ブツブツと文句を垂れます。
まとめ
声でデバイスを操作できるのは便利だともてはやされていますが、果たしてそうでしょうか。
息を吐き、声帯を震わせて空気を振動させているわけですから、体を使っていることには変わりません。
指で操作するか、声で操作するかは大差ないといえます。
脳波をキャッチして動作してくれるデバイスならともかく、声で操作できることを「進化」とするのは無理があります。
それは進化ではなく変化です。
指から喉へとカラダの使う部位がスライドしただけです。
したがって、難発性の吃音症がある私にとっては、「音声操作くらいでキャーキャーワーワー暑い寒い明るくして暗くして言わないでくれ」ってなもんです。
人間の脳波を感知できるようになるまで、私はスマートスピーカーをスマートだと認めませんし、話しかけてもやりません。
以上、吃音とスマートスピーカー(音声操作)は相性が悪い、でした。
結論。声で操作できることを「スマート」と表現するのは不自然。声に反応するスピーカー、声でエアコンを操作できる自動車、というべき。
音声を聞き取れるデバイスがスマート(賢い)なら、スムーズに話せない人間はいったいぜんたい。