著者の関口ケント氏は、1文字も書くことなく本書を出版したといいます。
「3日間取材を受け、別の人間が執筆した」
と彼は述べていました。
問題は、「別の人間」の文章力が無さすぎることです。
ゴーストライターがこれほど拙い文章を書いてきたら、ふつう、著者として自分の名前を出したくありません。
もっと上手な文章でなければ(表向きの著者として)恥ずかしい、ってなもんです。
ですので、低レベルな文章の本に自らの名前を出して出版できてしまう関口氏は、只者ではありません。
そんな只者ではない関口氏の考えを知れるのが、本書です。
この記事では、関口ケント著『メディアシフト YouTubeが「テレビ」になる日』の要約と感想をご紹介します。
ぜひ参考にしてみてください。
『メディアシフト YouTubeが「テレビ」になる日』の要約と感想
まずは本書の要約から。
著者はYouTubeチャンネルの運営を行なっている人物。
有能なテレビマンたちが能力を存分に発揮できる場を作りたい思いで、番組性格会社のADを辞め、YouTubeチャンネルを立ち上げた。
テレビとYouTubeの違いはなにか。
芸能人とYouTuberの違いはなにか。
なぜYouTubeでは再生回数よりも再生時間のほうが大事なのか、など、YouTubeとテレビについて解説する。
以上がおもな内容です。
本書を通して著者がもっとも伝えたいことは、
- 嘘をつかずコツコツやるのが大事
- テレビマンの能力を残していきたい
これらの2点だそうです。
前者は常識ですし、後者は、著者の個人的な抱負です。
水溜まりに釣り糸を垂らしてもなにも釣れないのとおなじで、本書を読んでも、なにも得られないでしょう。
水溜まりに魚はいませんし、本書にはロクな情報が載っていません。
ただ、「1文字も書かなくても本は出せる」という出版業界のロクでもない裏事情なら知れます。
文章が読みにくい
本書は読みにくい本でした。
なぜなら、文章が下手クソだからです。
読みにくい文章の責任はすべて本書を執筆したゴーストライター氏にあり、1文字も書いていない関口氏はなんら悪くありません。
むしろ、稚拙な文章で「著者」を名乗ることになってしまった関口氏に同情します。
あなあはれ、ってなもんです。
たとえば、本書にはやたら指示後が登場します。
- あれ
- これ
- この
- その
といった感じで、指示後が出てくるたびに、読者はいちいち指示後が指し示す内容を考えなければなりません。
ゴーストライター氏が競馬好きでもアイドル好きでも構いませんが、指示後好きでは困ります。
それから本書には、やたら体言止めも頻出します。
- 2年早まった。
- ということ。
- 重要になってくる。
など、ゴーストライター氏が体言止めを使うタイミングがおかしく、文章のリズムやテンポをぶち壊していました。
「という印象を持たれがち。でも、僕はその誤解を解きたい」
など、読んでいてこっちが恥ずかしくなるような、ポエムみたいな口調になったりもします。
ですます調とポエム調を行ったり来たりするので、読者は混乱します。
「さあそして」など、本書には、およそ書き言葉とは思えないような表現が出てきたりもします。
「さあそして、こちらに見えているのが」という街ブラロケ以外で「さあそして」を使っている人間を、初めて見ました。
こうなるともはやYouTubeよりも関口氏よりも、ゴーストライター氏に興味が湧いてきます。
なぜこの仕事を引き受けたのか、不思議でなりません。
たとえるなら、酢豚に入っているパイナップルのようなもので、違和感たっぷりです。
パイナップルにはもっと美味しい食べ方があるように、ゴーストライター氏にも、もっと輝ける場所(仕事)があります。
主張はよくわからない
文章だけならともかく、関口氏の主張自体も、わかりにくいものでした。
たとえば関口氏は、「YouTubeはラジオに近い」と語っています。
かつてラジオは、テレビ以上に生活習慣のなかに入りこみ、人々に愛されたメディアだったといいます。
氏曰く、家事をしながら、勉強をしながら、仕事をしながら、人々はラジオを聞いてたのだそうです。
そしていま、かつてのラジオの役割をYouTubeが担っているのだと、関口氏は述べていました。
けっしてラジオが消滅したわけではありませんが、なぜラジオのポジションを「ラジオ」ではなく、「YouTube」が担ってしまっているのでしょうか。
たとえるなら、子どものころは蕎麦が好きで、それから牛丼を好きになり、いまは大好きな蕎麦のポジションをラーメンが担っている、と述べているようなものです。
また蕎麦が食べたくなったなら、蕎麦を食べればOKです。
なぜなら、まだこの世界に蕎麦が存在しているからです。
ラジオもおなじで、人々が「ラジオ」を求めているなら、ラジオの代替品である「YouTube」をあえて視聴する必要はありません。
仮にYouTubeがラジオに近いとするなら、せめて本書のタイトルは『YouTubeが「ラジオ」になる日』とすべきでした。
YouTubeはラジオに近いけれども、YouTubeはテレビになる……。
本書の内容が支離滅裂なのは、関口氏の考えが支離滅裂なのか、ゴーストライター氏がなにか勘違いしたのか、いったい誰に落ち度があるのでしょう。
まとめ
本書を通して著者がもっとも伝えたいのは、
- 嘘をつかずコツコツやるのが大事
- テレビマンの能力を残していきたい
これらの2点だそうです。
ですので、当記事を読んでいただいたいま、あなたが本書を読む必要はありません。
本書を読んでも、読みにくい文章にイライラしたり、論理的でない主張にイライラしたり、「ダサいと思われないために大事なのは嘘をつかないことだ」と開きなおって1文字も書いていない事実を告白する著者の態度にイライラしたりするだけです。
関口氏はテレビ局を心配しており、テレビ局の衰退を危惧しており、有能なテレビマンをどうにか活躍させたいと願っているそうです。
いずれもスケールがでかいので、まず、身近なゴーストライター氏のキャリアについて心配してあげてください。
以上、関口ケント著『メディアシフト YouTubeが「テレビ」になる日』の要約と感想でした。
結論。ウソをついちゃダメ。テレビマンに活躍してほしい。そんな(関口氏は正直者で仲間想いな男だっていう)メッセージが、暗号のように難解で、ポエムのようにキザな文章で綴られた一冊。不必読の書。
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