死を考えろ、でも考え過ぎるな『生きることの哲学』を読んだ感想

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甲田純生著『生きることの哲学 人生を考えるための哲学エッセイ』を読んだ感想をご紹介します。

 

本書は「哲学に興味があるけどなんだか難しそう」と躊躇している人にぴったりの哲学入門書です。

 

 

『生きることの哲学』の感想

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哲学をテーマにした本ですが、難しくなく、スラスラと読めます。

専門用語はいっさい出てきません。

 

人生とはなにか」や「死とはどういうものか」を考えたい人に最適です。

私は本書を読んで、「人間は死を忘れようとしている」のだということを改めて認識しました。

 

人はいつか死ぬ

私はいずれ死ぬでしょうし、残念ですがあなたもいつかは死にます。

だれも永遠に生きることはできません(ホリエモンは本気でそれをやろうとしているみたいですが)。

 

とはいえ、死は恐ろしいですよね。

考えても暗い気持ちになるだけなので、なるべく死から意識を遠ざけているのではないでしょうか。

 

ですが著者は「死についてある程度は考えるべき」だといいます。

なにかを決断するときに、死を基準にするといいとのこと。

 

死から逆算する

自分が死ぬ瞬間を思い浮かべて、その地点から「いまの自分」を見つめます。

で、後悔しないかどうかを考えるべきである、と。

 

たとえば、会社から独立しようかどうか、あるいは好きな人に告白しようかどうか悩んでいるとしたら、まずは自分の死を思い浮かべる。

それで、「あのとき独立しておけばよかったな」だとか「告白すれば成功したかもな」などと死に際に後悔しそうなら、いま勇気を出して行動することができる、というわけです。

 

アップル創業者のスティーブ・ジョブズも似たようなことをやっていましたね。

彼が毎朝鏡に向かって「今日が人生最後の1日だとしたら、本当にこれからやろうと思っていることをするか?」と問いかけていたのは有名な話です。

 

 

死を考えすぎるのもマズい

とはいえ、死について考えすぎるのも良くないと著者はいいます。

それは太陽を直視できないのとおなじで、死も直視できないからだ、と。

死について考えすぎても、心を病んでしまうだけ。

 

ですから、大きな決断をするときなどに、ちょっとだけ意識のなかに「死」を呼び起こすくらいがちょうどいいのかもしれません。

ジョブズのように毎朝「今日で最後だとしたら」と考えるのは、 人によるでしょうが、私は遠慮しておきます。

なんというか、縁起でもないので。

 

平均寿命まで生きるなんて幻想

私たちは当たり前のように自分が、そして家族が「平均寿命くらいまでは生きる」と思っています。

ですが、「平均寿命まで生きる」なんてのは幻想であり錯覚であると著者はいいます。

 

曰く、「死を忘れるための口実に過ぎない」と。

死がいつ訪れるかなんて、誰にもわかりません。もしかしたらそれは明日かもしれないのです。

とはいえ、そんなことばかり考えて怯えていたら精神的によろしくない。

 

だから平均寿命を盲信することで、当面の間は「死」について考えなくて済むようにしているわけですね。

そうでなければ穏やかに過ごせません。

 

まとめ

「死」って怖いですよね。誰だって怖いはずです。

死後にどうなるのかまったくわかりませんし。

だから我々は死を忘れたい。で、どうするかというと、忙しくするんです。

 

退屈が死の恐怖を呼ぶ 

なぜなら死の恐怖は「退屈」なときに忍び寄ってくるから。

 

エレファントカシマシの曲にも『こうして部屋に寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』というのがあります。

 

そう考えると、仕事も娯楽も「退屈」を紛らわす手段でしかなく、その目的は「死」が意識の内側に入ってこないようにすることだといえます。

 

死を考えるのが怖いから、仕事やら趣味やらで忙しくして気を紛らわせている。

アホみたいにYouTubeを見まくる、と。

なんだか虚しくなってきますが。

 

ともかく、本書を読めば漠然と死を恐れるのではなく、死を恐れる自分を客観視できるようになります。

ぜひ死について、人生について、あなたも考えてみませんか?

本書は何度も読み返したくなるような示唆に富んだ一冊です。 

 

生きることの哲学―人生を考えるための哲学エッセイ

生きることの哲学―人生を考えるための哲学エッセイ

 

以上、『生きることの哲学 人生を考えるための哲学エッセイ』を読んだ感想でした。