小説家に限らず、ライターやブロガーなど文章を書くすべての人が気になっているであろうテーマ。
「AIに小説(文章)は書けるのか」について論じた本を読んでみました。
この記事では、佐藤理史著『コンピュータが小説を書く日 AI作家に「賞」は取れるか』を読んだ感想をご紹介します。
ぜひ参考にしてみてください。
※本記事では「コンピュータに文章が書けるかどうか」について言及しています。ネタバレしたくない方は、ぜひご自身で読んでみてください。
『コンピュータが小説を書く日 AI作家に「賞」は取れるか』の感想
著者は「文章を自在に紡ぐプログラム」の開発を目指す研究者です。
プログラムを使い、星新一のようなショートショートを書くことを目標としています。
私はAI技術に危機感を覚え、本書を読みました。
時間があればブログやショートショートを書いて過ごす人間として、人工知能の台頭は脅威でしかありません。
「AIに文章を書く力などありませんように。どうか無能でありますように」
そう願いながらページをめくってみました。
コンピュータに文章は書けない
私の願いは通じました。
「コンピュータには文章が書けない」
これが本書の結論です。
新聞のスポーツ記事など、典型的なパターンを持つ文章であればコンピュータでも書けます。
でも、小説となると話はまったく別なんですね。
文章のなかでもっとも自由度が高い小説は、いまのところ人間にしか書くことができません。
ワッハッハまいったか、という気分です。
コンピュータには文章が読めない
コンピュータは文章を書けないだけでなく、読むこともできないといいます。
コンピュータの母国語はなんだと思いますか?
それは英語でもフランス語でも日本語でもなく2進法、すなわち数字です。
コンピュータの母国語は数字なんですね。
したがって、コンピュータにとっての日本語は、私たち日本人にとってのアラビア語みたいなものなのだそう。
ほとんど記号のようにしか見えていません。
もっと悪いことに、アラビア語なら日本語に訳せば理解できますが、コンピュータの場合はどんな言語に翻訳すればいいのかもわかっていないといいます。
つまり、コンピュータに人間の言語を理解させる方法は、まだよくわかっていないのです。
これは文章を書いている者にとって朗報です。
AIが不眠不休で文章を書けるようになってしまったら、もう人間の出番などないでしょうから。
まとめ
とても興味深いテーマでした。
小説家やライター、ブロガーのみなさんにぜひ読んでいただきたい内容です。
「文章を書くというのは凄いことなんだな」と実感できます。
私たちが当たり前のように文章を書いていることが、なんだか奇跡のように思えてきます。
おかしい文章はなぜおかしい?
僕は腕時計を買った。
腕時計は豚骨ラーメンではない。
明らかにおかしい文章です。
「腕時計は豚骨ラーメンではない」って、意味がわかりません。
しかしながら、コンピュータに「なぜこれがダメなのか」を教えることができるか、説明できるかといえば、難しいんですよね。
僕は腕時計を買った。
激しい雨が降る夜のことだった。
こちらの文章だったら問題ありません。
では、どうしてこれはOKなのか。
さっきの文章がダメで、こちらの文章が不自然でないのはなぜなのか。
コンピュータにプログラムとして入力するのは至難の技です。
うーん、文章って奥が深いですね。
本書を読むと「文章を書くとはどういうことなのか」という本質と向き合うことになります。
いっそう、文章を書くことへの誇りが持てるかもしれません。
私はいま「天才やん」ってな気分です。
以上、佐藤理史著『コンピュータが小説を書く日 AI作家に「賞」は取れるか』を読んだ感想でした。
あなたも「なーんだ、私ってただの天才やん」ってな気分になりませんか?