どうやら私たち日本人は「反省」が好きなようです。
反省はいついかなるときも有意義で、反省文を書かせればコロッと人が変わると信じています。
ところで、反省とはそんなに「良いもの」なのでしょうか。
反省すればわれわれは人として成長できるのでしょうか。
必ずしもそうとは限りません。
失敗を反省して気分が落ちこみ、自己嫌悪に陥り、モチベーションがガタ落ちすることだってあります。
この記事では、
- 反省するデメリット
- 自分を嫌いにならないために
など、「反省する無意味さと弊害」についてわかりやすく解説します。
自分で自分を追い込まないよう、ぜひ参考にしてみてください。
反省する無意味さと弊害
筋トレをすれば筋肉が成長します。
それにたいして、反省したからといって、能力が向上するわけではありません。
むしろ反省によって自己肯定感が下がったり、自信を失ったり、閉塞感に苛まれたりと、そのデメリットが目につきます。
反省するのはやめましょう。
失敗をほじくりかえすのはやめましょう。
まるで墓地を掘りかえしているようなもので、そこに「嬉しい発見」はありません。
"見たくないもの"を目にして、げんなりするだけです。
ネガティブの大渋滞を引き起こす
たとえば、仕事でミスをしたせいで上司に怒られたとします。
帰宅してから静かな部屋でひとり、失敗について思いをめぐらせます。
いわゆる反省というやつです。
- なんであんなことしたんだ
- いい加減な処理をしたせいだ
- 自分はダメな社会人なんじゃないか
- 大人になって叱られるなんて情けない
振りかえって分析してみたところで、こうしたネガティブな感情がつぎつぎ湧いて"大渋滞"するのが関の山でしょう。
後ろ向きな気分では夕食がおいしく感じられず、風呂に入る気力は湧かず、かといって布団に入ってもなかなか寝つけません。
そもそも反省には終わりがなく、人によっては2時間、3時間とダラダラ反省しつづけます。
自分のメンタルをいたぶって傷つけて、「ツラいけどこうせにゃいかんのだ」と気合で耐える行為に、いったいどんな意味があるのでしょう。
メンタルをサンドバッグにしているようなものでナンセンスです。
もし上司に叱られたら、「スミマセン、次から気をつけます」で終わりにしましょう。
自宅で深く反省する"マジメさ"は、いずれ命取りになりかねません(たとえばメンタルを病んで休職したり)。
もし恋愛関係でなにか失言してしまっても、「こういう発言はアウトなのか、注意しよう」でじゅうぶんです。
失言に関しては、国会議員の態度を見習うのが良いかもしれません。
反省の終着駅は闇
反省とは、自らのうちに「悪いところ」を見出す行為です。
なにか起こるたびにやれ反省だといってダメな部分ばかり見ていたら、いったいどうなるでしょうか。
いずれ自分という人間がイヤになってきます。
バグだらけのスマホアプリに愛想を尽かすように、ポンコツでだめだめな自分に愛想を尽かし、うんざりします。
自信を失い、自尊心はボロ切れのようになり、やがて自己嫌悪に陥ります。
ここでも"マジメ"な人間のことなので、ポジティブではなく、ネガティブ思考をしている自分について反省するのでしょう。
これでは人として成長しているのか、弱体化しているのかわかりません。
生命力に関していえば、間違いなく低下しています。
もし反省文を書くように強制されたなら、一応、反省しているポーズをとっておく必要があります。
ただしほんとうに反省することはありません。
わざわざ"自己嫌悪経由・闇行きの反省列車"に乗ることはないのです。
もし反省するならこのタイミング
もし反省したほうが良いタイミングがあるとすれば、それは「物事がうまくいっているとき」だといえます。
どうしてかというと、調子が良いときほど私たちは"落とし穴"に気づけないからです。
いわゆる好事魔多し、というやつです。
ビジネスや恋愛がトントン拍子で進んでいるときほど、自らの判断や言動を思いかえして、その可否を問うべきでしょう。
この反省は、成功を持続させてくれる反省、つまり良い反省です。
それにたいして、失敗して気持ちが塞いでいるときの反省は、"ネガティブの沼"に飛び込むだけの、いわば悪い反省です。
ダメなときほど懲りずにいきましょう。
たとえば、「どうしてあんな酷いこと言っちゃったんだろう」と冷静なときに反省したって、また喧嘩してヒートアップしたら、おなじ罵詈雑言が口から飛び出すに決まっています。
なぜなら、脳の理性(ブレーキ)が吹っ飛んで、本能のままに暴れている状態だからです。
だったら、ネガティブになる反省なんかしないほうがマシ、懲りないほうが賢明です。
まとめ
私たちの多くは、失敗したときなど、反省すべきではないタイミングで反省しています。
そして、物事がトントン拍子で進んでいるとき、ほんとうに反省すべきタイミングではまったく反省しません。
これはたとえるなら、陸でゴーグルをつけて歩き、プールでゴーグルを外して泳いでいるようなものです。
つまり逆です。
ゴーグルの使い方が間違っているように、私たちは反省するタイミングを誤っています。
調子が良いときほど、判断や言動の可否について考えなければいけません。
それにたいして、ミスして落ちこんでいるときには元気を出すよう努めるべきです。
反省などしている場合ではありません。
塩を握りしめて、傷口にグリグリと擦りこむことはないといえます。
反省と称し、メンタルをサンドバック扱いするのはやめましょう。
反省して成長できる保証はありませんが、自己嫌悪に陥ることなら保証できます。
以上、反省する無意味さと弊害でした。
【結論】反省して失敗をほじくり返せば、さらに落ちこむ。反省しなければ「反省しない人間はダメだ」といって罪悪感を覚える。こんな窮屈な生き方をしろと誰かに命令されたわけじゃない。私たちには「懲りない道」もあって、こっちのほうが有意義。「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」と寺山修司もいってることだし。
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