読書をするのが時間の無駄なのかどうかは、人によります。
読書好きにとっては有意義な時間でも、読書嫌いにとっては無駄な時間に感じられることでしょう。
でも、しょせんこの世は暇つぶし。いかに退屈せずに人生を過ごせるかが重要です。
この「退屈せずに過ごす」という点において、私は読書こそが最強のメソッドだと思っています。
読書は時間の無駄ではない
個人的には、読書を「時間の無駄」だとは思いません。
時間の無駄というのはたとえば、食事をしていないのに歯を磨いたり、髪がないのにドライヤーを買いに行ったりすることをいいます。
こうした行為は紛れもなく時間の無駄です。読書はさすがに、そこまで無意味ではありません。
読書をすれば多少は物事を知れますし、多少は語彙力も増えますし、多少は論理的な思考力が身につきます。
小説を読めば、驚いたり、怯えたり、喜んだり、笑ったり、泣いたり 、勇気づけられたりします。
こうした時間を「無駄」だと切り捨てるのであれば、「いったいなにをしている時間なら無駄じゃないのか」と訊きたいところですね。
なにをしていれば「無駄な時間」ではないのか
読書が「時間の無駄」だとするならば、「どう過ごせば無駄ではないのか」という話になります。
腹筋を鍛えるのは時間の無駄でしょうか。熱帯魚の水槽を洗うのは。犬の散歩は。庭の草むしりは。
すね毛の本数を数えるのは。2階から目薬に挑戦するのは。10円玉に醤油をかけてピカピカにするのは。
無駄かどうかは人によって異なります。
ふつうのおじさんが2階から目薬に挑戦するのは、たぶんですが、時間の無駄です。
でもこれがユーチューバーなら、そしてこの様子を動画におさめて公開するのであれば、チャレンジは無駄ではないでしょう。
ユーザーに再生され、広告収入が得られるかもしれません。
読書が時間の無駄なら本を読まなければいい
小説家を目指している人にとって、あるいは上手な文章を書きたい人にとって、読書は役に立ちます。けっして無駄ではありません。
いっぽうで、活字を読むのが嫌いで、本にいっさい興味がなく、ユーチューブさえ見られれば幸せな人にとっては、読書は時間の無駄でしょう。
ですから、読書に意味を見出している人は読めばいいし、必要性を感じない人は読まなければいい。それだけの話です。
一概に、読書が時間の無駄かどうかを論じることはできません。
全人類にたいして「読書は時間の……無駄でーす!」などと決めつけるのは不可能なのです。
読書で退屈を避ける
これは人それぞれの価値観によりますが、私は「いかに退屈せずに生きられるか」が重要だと考えています。
ヒマでヒマでやることがなかったら、「何のために生きてるんだろう」と虚しくなるからです。
そんな虚しさを紛らわせてくれるのが読書です。読書を好きになれば、本はそれこそ無限といっていいほどにありますから、一生退屈しません。
つまり、読書を好きになったら勝ち、なのです。
もちろん読書でなくとも、他の趣味でもいいですし、仕事でも子育てでもボランティア活動でも構いません。
「自分はこれがしたいんだ!」という自分なりの答えを見つけて、それに没頭できればいいのではないかと思います。
退屈は避けられます。虚無感に襲われることはありません。
満足した時間を過ごせるという意味では、私にとって読書が一番です。
少なくとも、会社の飲み会よりは有意義だといえます。
「時間の無駄」は人それぞれ
ある行為を「時間の無駄」に感じるかどうかは人それぞれです。
読書をする必要がある人もいるし、必要のない人もいる。
ですから、読書をしている人に向かって「本なんか読んでも時間の無駄だよ」などとバカにするのは良くありません。
「読書より有意義なことってなに?」と訊かれたら、たぶん答えられないでしょう。
いろんな人がいて、いろんな価値観があります。
ただ総じて普段読書をしない人ほど、多様性を受け入れられない傾向があるように感じます。
であれば、読書をしてあらゆる考え方に触れてください、といいたいです。
ちなみに、当ブログ「ブドウ糖の浪費」を読むのは時間の浪費になります。
スネ毛の本数を数えるほうがまだマシですので、これ以上読まないことをおすすめします。