短足にとってツラいのが、ズボン購入時の裾上げです。
脚が短いので、そのぶん裾が余り、生地をたっぷりカットされます。
- こんなに切って定価は損だ
- 店員も短足だと思ってるんだろう
など、試着室でさまざまな感情が込み上げてきます。
この記事では、「短足にとってズボンの裾上げが屈辱な件」について書いていきます。
共感していただけると幸いです。
短足にとってズボンの裾上げが屈辱な件
短足として生きているのがしんどくなる瞬間は、日常のあちこちに潜んでいます。
たとえば、アパレルショップでズボン購入するときです。
短足にとってズボンの購入は、屈辱のオンパレードでしかありません。
店にお金を払ってテンションを下げるという、奇行。
全身鏡で短足っぷりを突きつけられる
土足厳禁の試着室に入ると、靴を脱いだ自分の姿が全身鏡に映し出されます。
ふだんは靴のおかげで2〜3センチほど補強され、多少マシになっている短足も、フィッティングルームでは誤魔化せません。
靴を脱がされ、短すぎるほど短い脚を見せつけられ、改めてスタイルの悪さに絶望するハメになります。
テンションは急降下し、もはやお買い物の気分ではありません。
試着予定だったズボンを投げ捨てて帰りたいくらいです。
靴を脱いで脚が短くなると、相対的に顔もデカく見えるという、負の連鎖。困惑の渋滞。
短い脚にズボンを履かせますが、スタイルが悪いせいか、似合っているとは思えません。
ズボンのデザイン云々の前に、それを履いている脚のポテンシャルが低すぎるのです。
豚に真珠、みたいな。
ジーンズ、チノパン、スキニーパンツ。
なにを履いたってどうせ短足なんだから、ズボンなんてなんでもいいや、という投げやりな気分になり、カーテンを開けて店員を呼びます。
店員に「短足だな」と思われている
スタッフが来たら来たで、さらなる屈辱がスタートします。
今度は「どうせスタッフは心のなかで短足っぷりを嘲っているんだろうな」という被害妄想に苛まれます。
こんなにガッツリ裾上げする人はじめてだよ、みたいな。
これじゃ半ズボンになっちゃうよ、みたいな。
半ズボンを買えば長ズボンとして使えるんじゃね、みたいな。
そんな皮肉たっぷりの風刺をしちゃってるんじゃないのか、と勘繰ってしまうわけです。
「裾の長さはどれくらいになさいますか?少し長目がよろしいでしょうか?」
というスタッフの提案にも、含みを感じてしまいます。
裾を長めにしておけば多少は脚が長く見えますよ、的な。
ガッツリ裾上げして定価で支払い
試着室の鏡で傷つき、スタッフの接客でも傷ついた満身創痍の短足人間は、やっとの思いでフィッティングルームを後にします。
ですが、ズボン購入の試練はこれで終わりではありません。
最後の屈辱、会計が待っています。
裾を10cmかそれ以上折り返されたズボンを手にし、短い脚を交互に出し、レジへ向かいます。
店員がバーコードをスキャンし、レジに請求金額が表示されます。
そこに並ぶ数字は定価です。
あれだけ布を切って捨てるのに定価です。
買った布の面積は小さいのに定価です。
面積が変わっても金額が変わらないって、そんなのおかしいではありませんか。
牛丼屋では、並盛と大盛の牛丼はそれぞれ値段がちがっています。
カレー屋だって、蕎麦屋だってそうです。
なのにズボンは、質量が変わっても値段が変わらないだなんて、いったいぜんたいどうしてなのでしょう。
じゃあいったい、定価2980円というのは、なににたいする金額なのでしょう。
なににお金を支払っているのでしょう。
裾をザックリ切ったんだから定価から15%オフにしてくれたっていいじゃないですか。
定食屋の「ごはん小盛りにできます。マイナス100円です」みたいな良心があったっていいじゃないですか。
かくしてボロボロになったメンタルで、短足人間は、アパレルショップを後にします。
まとめ
短足は、ズボンを買うだけでメンタルに傷を負います。
- 全身鏡で屈辱
- スタッフの接客で屈辱
- 会計時に屈辱
ズボンを買おうと思った短足は、一度の買い物で三度メンタルを襲撃されます。
ゆえに、精神状態が万全でなければズボンは買えません。
- 失恋直後
- 寝不足気味
- なんだかダルい
- 頭がズキズキする
こうした不調を抱えたまま短足がズボンを買った場合、最悪の場合、体調を崩して寝込む恐れがあります。
気分の優れない方はジェットコースターに搭乗しないでください、みたいな。元気じゃない短足はズボンを買わないでくださいっていう。
ズボン購入はハードルが高すぎて、短い脚では超えられません。
あぁ、一年中短パンで過ごせたらいいのに。
以上、短足にとってズボンの裾上げが屈辱な件でした。
結論。ミシンを買おう。自分で裾上げしよう。短い脚を上げてもズボン購入のハードルが越えられないなら、ミシンの腕を上げればいい。
パックリ開いた心の傷口は、ミシンの針がふさいでくれます。
ところで、座高測定というのは、なんなのでしょうか。
「座高測ろう」って、誰が最初に言い出したのでしょうか。
全国から集めた座高のデータが、どこの誰にとって役立っているのか気になります。