ブログ記事のタイトルに「教える」とつける人がいます。
「移住するメリットを教える」とか「面白かった本を5冊教える」みたいに。
これはやめておくべきです。
なんだか偉そうに見え、記事を読む気が失せてしまいます。
「教える」とついた記事はユーザーに読んでもらえません。
記事タイトルの「教える」は不要
私の知っているブロガーで、やたら「教える」を連発する人がいます。
「下々の連中にわれが教えてやろう。よく聞けよ」といわれているようで、あまりいい気はしません(だから彼が更新してもぜったいに読んでやりません)。
ここで重要なのは、「教える」がなくても記事タイトルは成り立つことです。
「教える」を消してみた
「移住するメリットを教える」であれば、「移住するメリット」でじゅうぶん伝わります。
「面白かった本を5冊教える」も、「面白かった本5冊」で問題ありません。
つまり「教える」は余計なひとことなんですね。
デメリットこそあれ、「教える」というワードを使うメリットはひとつもないといえます。
彼はまるで口癖のように「教える」を連発していますが、いますぐにでも使用を中止すべきでしょう。
彼にはどうやら「やめたほうが良い理由を教える」必要がありそうです。
教えてくれない可能性?
それとも……。
「面白かった本5冊」というタイトルを見たユーザーが、「この記事はほんとうに教えてくれるんだろうか。教えませーんという可能性もあるのではないか」と疑う可能性に配慮し、彼はあえて「教える」というワードを使っているのかもしれません。
ちょっとややこしいですが、伝わりましたか?
たとえば私が『ポルシェ911を運転した感想』という記事を公開したとします。
しかしタイトルのどこにも「教える」とは書いていません。
だから記事に「ひ・み・つ」としか記載しなかったとしても、私は責められない。
「それはアナタの早とちりでしょう?誰も教えるなんて言ってませんよね?」と反論できてしまう。
しかし『ポルシェ911を運転した感想を教える』と書けば、私は感想を述べなければならなくなります。
誠実かよ!
つまるところ、彼はただただ誠実なだけかもしれません。
「かならず教えます。フェイクじゃありません。ちゃんと教えます。信じてください」という誠意を見せるために、あえて「教える」という一言を使っている。
もしそうだとしたら、「なんかごめん」という感じです。
やっぱり違った
しかし彼は本文でも偉そうなので、上の可能性は消滅しました。
「だ。である」口調ですからね。 終始。
堅苦しくて読む気が失せます。
おまけに「教える」のダブルパンチですから、上から目線もいいところ。
上から目線が行き過ぎて、もはや読者の真上に位置していて、誰の目にも入っていないような気がします。
※イメージ
終わりに
最近になって、彼の「教える」に変化が現れました。
バリエーションが豊かになったのです。
「紹介する」「紹介していく」が新たにラインナップに加わり、さらには「紹介していこうと思う」という決意表明みたいなパターンまで揃っていて、なんだかにぎやかです。
32字以内におさめるのが良いとされる記事タイトルにおいて、10文字を決意表明に割いてしまうあたり、尊敬します。
とても真似できません。
ぜひ彼には今後も、いろいろと教えたり紹介したり紹介していってもらいたいものです。
陰ながら応援しています。
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以上、ブログ記事のタイトルに「教える」を使うべきではない理由を紹介していこうと思う、でした。