海外へ語学留学へ行った日本人はよく「夢を英語で見るようになった」などといいます。
夢の世界はなんでもアリのバーチャルな空間ですが、現実の状況が色濃く反映されるようです。
では、吃音に悩んでいる人間の夢はどうでしょう。
吃音に悩む人間は、夢のなかではスラスラと喋れるのでしょうか。
それとも、夢のなかでもやっぱり吃音のままなのでしょうか。
この記事では、「吃音の私は夢の中でも吃音だった件」について書きました。
ぜひ参考にしてみてください。
吃音の私は夢の中でも吃音だった件
タイトルの通り、吃音者である私は、夢のなかでも吃音のままでした。
私の吃音は難発性吃音(ブロック)というタイプで、そもそも第一声が出ない、発声できず言葉に詰まってしまうのがおもな症状です。
たとえば、「宝くじに当選した」といいたいとき、最初の音である「た」が発音できないことがあります。
まるでノドを塞がれ、息を吐き出せなくなったかのように感じるのです。
声を出せないまま硬直し、発言をあきらめるのが、難発性吃音である私の「あるある」です。
電話で友達を遊びに誘う夢
現実世界の私は20代ですが、夢のなかの私は小学生でした。
友達を遊びに誘おうとし、友人宅に電話をかけます。
小学生の当時、携帯電話は持っておらず、固定電話で連絡をとるしか手段がありませんでした。
電話をかけると、友人のお母さんが出ました。
私は「タケルくんいますか?」といいたいのですが、冒頭の「た」がいえません。
難発性吃音が発動しているせいです。
夢なのだから、スラスラといわせてくれたって良さそうなものですが、夢のなかでもガッツリ吃音のままでした。
私を小学生に戻すなど、年齢設定はメチャクチャなクセして、吃音という妙なところだけは忠実に再現しているのです。
イヤな夢です。
私はとくに「た」と「か」が言いづらい。夢のなかでもそのままだった。
ただ、夢のなかの私はどうしてもタケルくんと遊びたかったらしく、もがきながらもなんとか「タケルくんいますか?」と伝えることに成功します。
「かけ直します」がいえない
あいにく、タケルくんは不在でした。
それでもタケルくんと遊びたかった私は「かけ直します」とタケルくんの母へ伝えようとします。
がしかし、「か」の発声が苦手な私は、夢のなかでも「か」がいえず、苦しみます。
「かけ直します」といいたいのにいえず、無言の気まずい時間が流れました。
いいたいことがいえないときには、難発性吃音の最終奥義である「言い換え」を使うしかありません。
私は冒頭に「お」をつけ、「おかけ直しいたします」と伝えました。
「なにその言葉遣い」と、タケルくんのお母さんにゲラゲラ笑われました。
「おかけ直しいたします」はめちゃくちゃな敬語で、滑稽です。
笑われるのは仕方がありません。
自らの吃音を憎み、恨み、怒った私は、激昂して受話器を床へ叩きつけます。
物音を聞きつけた母がやってきて、事情も聞かれぬまま、私はこっぴどく叱られました。
うつむく私の視界には、叩きつけた衝撃で一部が欠けた受話器が転がっていましたとさ。
めでたくなし、めでたくなし。
まとめ
夢の世界にお付き合いいただきありがとうございました。
本記事でお伝えしたかったのは、吃音者は夢のなかでも吃音に悩まされることがある、という事実です。
この記録は吃音研究の役に立つのかもしれませんし、立たないのかもしれません。
20代になってから吃音を発症した私は、小学生時代、実際に上のようなできごとを体験したわけではありません。
つまりこの夢は、思い出の再生ではなく完全なる創造だ、ということです。
なんでもありの夢の世界で、小学生にだって戻れてしまうSFのような夢の世界で、吃音だけはそのまま反映されるだなんて、あんまりです。
タケルくんを在宅にさせることだって可能なはずなのに、タケルくんを不在にするだなんて、脳というやつはよくわかりません。
おかげで私は、「おかけ直しいたします」からの、ゲラゲラからの、ガチャンからの、バコーンからの、コラァです。
ところで世の中には、「死と税金からは逃れられない」という言葉があります。
くわえて吃音者は、夢のなかでさえ吃音から逃れることはできません。
あなたも吃音者であれば、われわれは死と税金、それから吃音に追われていることになります。
壮絶なる鬼ごっこ、ハードモードな人生です。
以上、吃音の私は夢の中でも吃音だった件、でした。
結論。もうタケルくんとは遊んでやらない。
吃音について、当サイトにはこんな記事もあります。
あなたも吃音に悩んでいるとしたら、こちらの書籍が役に立つかもしれません。
自分で試せる発声や発音の練習帳です。