中島らも著『心が雨漏りする日には』をご紹介します。
『心が雨漏りする日には』は、故・中島らも氏による、躁うつの人生を綴ったエッセイです。
『心が雨漏りする日には』
さすがはコピーライター出身の中島らも、魅力的なタイトルをつけますね。
うつ病ではありませんが、私にも精神的にかなり落ち込んでいた時期がありました。
そんなタイミングでたまたま手に取ったのが『心が雨漏りする日には』でした。
「こころだって、からだです」
読んでいてとくに印象に残ったのが、「こころだって、からだです」という言葉です。
心も体の一部だから、骨折といっしょで、うつ病にだって治す方法はいくらでもあるのだ、と。
この言葉に出会い「そういうものか」とすこし気分が明るくなったものです。
抑うつ状態で悲観的にものごとを考えがちだった私にとって、 ポジティブなメッセージはとてもありがたいものでした。
躁うつにも意味がある
中島らもは躁うつ病について、何らかの意味あるいは因果関係がある、と述べています。
だから「それをまるまる受け入れるしかないのがおれという人間なのだ」と考えて、悲壮感などは抱かないようにしているのだとか。
なぜこうなってしまったんだ、と自分の人生や病を恨むのではなく、「これがおれという人間なのだ」と開き直る。
「健康な自分」という理想を追い求めず、現状を肯定できれば、幾分生きやすくなるような気がします。
うつ病は死にいたる病ではあるが……
躁うつ病を患っていた中島らもは、1度だけ自殺を考えたことがあるそうです(偶然その場にマネージャーがやってきて助かりますが)。
その経験から、「うつ病は死にいたる病だが予備知識があれば避けられる」と語っています。
曰く、今後は自力で自殺を踏みとどまることができるはずだ、と。
もし自殺念慮に囚われてしまったときには、「今日ではなく明日にしよう」と考えるのだとか。
今日は野球のナイターがある、それからあの番組も見ようなどと、つらい中でも意図的に楽しみを見つけることで自殺から考えを遠ざけるのだそうです。
「そうか、そうすればいいのか」と知識として持っているだけでも、ずいぶん心が軽くなるように思います。
同様にコピーライターの仲畑貴志氏も、「あの葉っぱが自分の手のひらより大きくなるまでは生きていよう」と自分に言い聞かせ、自殺を踏みとどまったというエピソードが紹介されていました。
らも流ストレス解消法
本書のなかで中島らもは、「ストレスが溜まったらなるべく野蛮なことをするといい」と主張しています。
「野蛮なこと?」と思いますよね。
具体的には、海岸を裸でワーッといいながら走るなど、だそうです。
……それは野蛮にちがいありません。
もしストレスが最高潮に達したら私も試してみたいと思います。
内陸県在住のため海岸へ行くのも一苦労ですが。
まとめ
『心が雨漏りする日には』を読んで、私はすこし元気が出ました。
「自分よりもっとつらい人がいるのか」と知り、心が軽くなったのです。
私は中島らものようにアルコール依存症ではないし、睡眠薬を36年間も服用してなどいないし、失禁に悩んでもいない。
なんだ自分などたいしたことないじゃないか、と思えたんですね。
それは氏が病院へ行き、「ここにいる人たちよりはマシだ」と考えて励まされたのとおなじようなものです。
抑うつ状態にあると「自分は不幸だ」というネガティブな気持ちになりやすいため、おなじように(あるいはそれ以上に)つらい状況にある人のエピソードを知ることで、相対的に「大丈夫だ」と思えるわけです。
他にもこの本には「典型的なうつ病になる人は宗教に無関心な人が多い」など、興味深い知識がいくつも散りばめられていました。
いずれまた、読み返したいと思います。
以上、『心が雨漏りする日には』を読んだ感想でした。
ちなみに中島らもは、仕事が退屈すぎて(でも給料はもらっているので)責任感からうつになった、と綴っています。
退屈すぎてつらい……本書を読んでいてもっとも共感したポイントでした。退屈な人生ほど憂鬱なものはありません。
もし仕事が暇で悩んでいる人は、以下の記事を参考にしてみてください。