『ツレがうつになりまして。』がベストセラーとなった漫画家・細川貂々氏による、コミックエッセイです。
ただし本書は、ベストセラーになることも、映画化されることもないでしょう。
なぜなら本書の内容は水溜まりよりも浅く、オブラートよりも薄っぺらで、なんのメッセージ性もないからです。
端的にいって、しょうもない本、でした。
この記事では、細川貂々著『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』の要約と感想をご紹介します。
ぜひ参考にしてみてください。
『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』の要約と感想
まずは本書の要約から。
テーマは「素の自分」について。
「素の自分」がいったいなんなのか気になった著者は、9人の知人にインタビューを実施。
インタビューした知人9人に自らをくわえた計10人の、「素の自分」に関するエピソードをコミックエッセイで紹介する。
以上がおもな内容です。
まるで、小学生の日記みたいな本でした。
とてもプロが描いた本だとは思えませんし、人からお金を取れる内容であるとも思えません。
10代の若者ならともかく、 1969年生まれの人間が「素の自分ってなんだろう」と考えるには、タイミングが遅すぎます。
ひとりで哲学するのは自由ですが、「素朴な疑問」でケチな商売をするのはいかがなものでしょう。
10人が語る「素の自分」
まず、本書に出てくる人物を紹介します。
- リンさん
- ゆっこさん
- みに子さん
- ポピーさん
- わたつみさん
- わこさん
- ときこさん
- エーデルさん
- きくちゃん
ここに著者である細川貂々氏をくわえた、計10名です。
ゆえに本書の90%が、読者にとって「知らない人」で構成されている計算になります。
「素の自分」に関する10名分のエピソードが載っていました。
たとえば、素の自分はネガティブで、そんな「素」を見栄っ張りの鎧を着て守っている。
いつも戦闘態勢だから疲れる。
だから家のなかでは鎧を脱いで、しっかり休んでメリハリをつけている。
終わり、ってなもんです。
これが1名分のエピソードの要約で、このような(玉ねぎの皮みたいに)薄っぺらいエピソードを10話集めてあるのが、本書です。
あなたはまるで、夏休みに小学生が書いた絵日記を読んでいるかのような気分なることでしょう。
著者が目指しているのは「素の自分」がどれなのかを知ることだといいます。
- 娘として
- 姉として
- 妻として
- 飼い主として
- 保護者として
- 友達として
- 先生として
- 生徒として
このようにさまざまな自分を使いわけているなかで、「ところでどれが本当の自分なの?」と細川氏は不思議に思ってしまったそうです。
だから友人にインタビューをし、「素の自分」について教えてもらったのだと著者は述べていました。
そもそも、友人たちが「漫画家からのインタビューに答えている私」になっている時点で、その回答は「素の自分」ではありません。
インタビューを受けたのが著者の友人であれば、全員が「友達としての私」として著者に接しているはずです。
この根本的な矛盾もしくは欠陥に、細川氏は気づいていません。
「みんながふだん隠している素の自分を知れたぞ」ってなもんです。
あるいは、「これでまた本を出して儲けられるぞ」ってな魂胆かもしれません。
「素の自分」という概念からして疑問
細川氏は「素の自分がある」と信じているようですが、まずはその「素の自分」という前提から疑ってみるべきではないでしょうか。
ほんとうに素の自分はあるのか、ということです。
というのも、娘としての自分も、妻としての自分も、友達としての自分も、保護者としての自分も、すべて「自分自身」に違いないからです。
人を"球体"のようなものだと考えてみるとスッキリします。
われわれの性格は大地のように平面的ではなく、月のような球体をしています。
そして、接する相手、自分の立場によって「見せる面」を変えているに過ぎません。
ですので、どの自分も、自分です。
「素の自分」など存在しません。
たとえば、上司の話が長いとします。
心のなかで「いつ終わるんだよ、長いな」と毒づいたとしても、けっして上司の前では表情には出さないでしょうし、言葉にも出さないでしょう。
なぜなら、いちいち本音を述べていたら、社会でやっていけれないからです。
誰もがこのようなストレス、葛藤、悩みを抱えて生きています。
王様のように好き勝手に生きている人間など存在せず、誰もがその場その場に適した「自分」を使いわけているだけです。
職場の上司にたいして、「じゃあね〜」と友達のように接する人間もいません。
私たちががいろいろな自分を使い分けているのは、いわば「当たり前の話」であって、そんな当たり前の話をわざわざ本にし、出版する意味がわかりません。
まとめ
漫画家にインタビューしてもらい、自身を描いてもらえた友人9名は、きっと喜んでいることでしょう。
「これ、私だよ。すごくない?」
と本書を片手に自慢しているかもしれません。
ところで著者は、9人にインタビューをして、「素の自分は弱くて繊細ではかないもの」だとみんなが感じていることがわかったそうです。
強くなるには、
- 仕事で成功する
- ダイエットする
など、自分の外側に自信をつければ良いと思っていた著者は、この認識が誤りだったことに気づきます。
ほんとうに強くなるには「素の自分を大事にするべきだ」との結論に、細川氏はたどりつきました。
よって細川氏は今後、「どうやって素の自分を大事にするか」という課題に向き合っていくといいます。
「自分とはなにか」
この哲学的問いに答えている本として、ここまで低レベルな書籍はほかにないでしょう。
自分という存在について知りたいなら、みに子さんやポピーさん、きくちゃんにインタビューするのではなく、著者は哲学書を読むべきです。
なぜなら、偉大なる哲学者たちによる、(リンさんやわたつみさんよりも)深い洞察に触れられるからです。
以上、細川貂々著『もろくて、不確かな、「素の自分」の扱い方』の要約と感想でした。
結論。21世紀という時代を考えても、50代という著者の年齢を考えても、「いまさら何をいってるのか」の一言に尽きる。著者自身が「素の自分」を理解できていないので、わかりにくい。 まるで、英語をロクに話せない人から英語を教わっているようなもの。
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