試験慣れした賢い人ほど、「何にでも正解がある」と思いがちです。
もし「生きる意味」を探しているなら、それは空を見上げてUFOを捜索しているようなもので、まず徒労に終わります。
見つかることはないでしょう。
なぜなら、「生きる意味があるはずだ」という前提が、そもそも思い込みだからです。
人生に意味などありません。
どこにも存在しない架空のモノを探し求めるのはやめましょう。
まるで極寒の雪山でイエティを探すも同然で、ただ精神的にも肉体的にも疲れるだけです。
永遠の命が得られる薬草のような、ありもしないものを必死になって探す……それこそ無意味ではないでしょうか。
この記事では、
- 生きるのに意味が必要か
- 人は何のために生きているのか
など、「生きる意味とは何なのか」をわかりやすく解説します。
親、友人、精神科医……誰に相談したら良いんだかわからないモヤモヤを解消するため、ぜひ参考にしてみてください。
生きる意味とは何なのか
Tシャツにプリントされている英語の意味なら、辞書を引けばわかります。
「Give me something……何かくれ、って意味か」といった具合です。
これとおなじように「私たち人間が生きる意味」もどこかに載っていると思うなら、ファッション誌に怪談話が載っていると思い込んでいるようなもので、誤解だといえます。
知ってのとおり私たちは、「フローリングのゴミを吸うために作られたお掃除ロボット・ルンバ」ではありません。
つまり、われわれは目的を果たすために誰かに製造されたわけではなく、したがってこの人生に意味や理由などありません。
たまたま生まれてきただけ、です。
犬や猫やヒツジとおなじです。
もちろん世の中には、
- 人々を笑顔にする
- 家族を幸せにする
- 世界から貧困をなくす
- バイオリンの技術を高める
といった「自分なりの生きる意味」を見出している人はいます。
「万人に共通する生きる意味」がない以上、彼/彼女らを見習って、この人生に個人的な理由づけをするしかありません。
つまり生きる意味とは、誰かに教えてもらうものではなく、自分の頭で考えるものだ、ということです。
壮大なミッションを掲げてみる
この文章を読んでいるあなたが早熟の5才児ではなく、社会人として働く大人なら、「仕事」に生きる意味を求めるのも1つの手です。
たとえば、自動車王と呼ばれたアメリカのヘンリー・フォードは、
「ビジネスとは、私たちが住むこの世界を、生きるに値する楽しい場所にするためにある」
と定義しています。
もしフォードの考えに共感し、おなじ理念を心に抱くなら、私たちは「この世をもっと楽しくするため」に生きることになります。
これで一応"意味らしきもの"が見つかりました。
もし共感できなかったとしても、あまり深刻になることはありません。
「何のために生きているんだ?」と首を傾げているのは、地球上で、私とあなたの2人だけではないからです。
たいていの人が、やはり「生きる意味」を見つけられないでいます。
古代ギリシャの哲学者もそう、感じの悪い隣人もそう、なんだか楽しそうなユーチューバーたちもそうです。
そもそも意味など探していない人だっています。
「生きる意味」というのは「資産1億円」みたいなもので、たいていの人にとっては無いのが普通です。
ただお金と違って、生きる意味は、気分次第ですぐ手に入れられます。
方法は後回しでも良いので、ひとまず「この世界をもっとマシな場所にすること」を自らミッションとして課してみてはいかがでしょう。
前向きで明るくて、しかもこのミッションには終わりがありません。
「生きる意味」としてさほど悪くないはずです。
「ねぇ何のために生きてるの?」
「そりゃもちろん、この世界を素晴らしくするためさ。方法は検討中さ」
こんな感じです。
ビジネス、政治、ボランティア、芸術……やり方はいくらでもあります。
ちょっと共感できない場合
「世界とかどうでもいいし。そもそも自分のことで精一杯だし」
こんな場合、ムリしてまで意味を見つける必要はありません。
というのも、酸素や水、食料と違って、「生きる意味」がなくても、私たちはこの人生を楽しめるからです。
クルマを運転するには自動車免許が必要ですが、人生を謳歌するのにライセンスは不要です。
たとえば世の中には刹那主義というのがあって、これは「いまが楽しければそれで良い」とする生き方で、そこに、これといった使命や目的はありません。
そういえば俳優の藤原竜也は、ノートの表紙にマジックで「刹那主義」とでかでかと書いていました。
何が言いたいのかといえば、そんな生き方もある、ということです。
バッテリーがなければスマホは動きませんが、生きる意味がなくても私たちは走り回れます。
べつに死んだりしません。
そもそもの話として、私たちは、すべての物事の意味を把握しているわけではありません。
- 働く意味
- 寝る意味
- 勉強する意味
- 恋愛をする意味
- 結婚をする意味
- 友達をつくる意味
- 衣類の洗濯マークの意味
どれもこれも明快な答えを持たず、深く考えず、「なんとなく」でやり過ごしているのではないでしょうか。
なぜなら、それで不都合がないからです。
だったら人生にたいしてもおなじくらい肩の力を抜いて、
- なんとなく生きてる
- 死んでないから生きてる
- 幸せになるために生きてる
といったライトで曖昧な態度で良いのではないでしょうか。
それとも、これでは困りますか?
なくしたスマホを探しているわけではないので、人生の目的など、見つからなくても大丈夫です。
もしそれでも「明確な意味がなければ生きていられない」というなら、どこかの宗教に帰依すれば、丁寧に教えてもらえます。
まとめ
東京ディズニーランドの園内にいると想像してください。
ディズニーシーでも構いません。
もし友人に「来園した意味」を尋ねられたら、
「ディズニーに来た意味? バカみたいな質問するな。堅苦しいこといってないで楽しめ」
と一蹴して終わりです。
"夢の国"で意味を考えるのは野暮です。
人生も似たようなものかもしれません。
「すべての物事には意味がある」
この前提から出発するせいでモヤモヤします。
万人に共通する「生きる意味」など存在しないからです。
だったらいっそ意味を探すのはやめましょう。
どうせ探すなら、『ウォーリーをさがせ!』の絵本を開いてウォーリーや双眼鏡を探すほうが楽しめます。
おまけに、諦めなければかならず見つかります。
もし「何のために生きているのかわからない」としたら、夢中になれる趣味を持つのが良いかもしれません。
ワクワクできる趣味があれば、ふと、人生に虚しさを感じる瞬間もなくなるはずです。
以上、生きる意味とは何なのかでした。
【結論】人生に意味はない。だから探しても見つからず、なぜ生きているのかわからなくなり、絶望する。UFOは存在する、と信じるから辛くなる。UFOなんていない、と断じればそれで終わり。生きる意味って、たぶんUFOみたいなものだ。
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