私たちが生きているこの世界は仮想現実で、ほんとうの現実ではない。
このような疑問を抱いたことのある人もいるでしょう。
が、そのアイディアを周囲に話しても、まともに取りあってもらえないことがほとんどです。
「ここが仮想現実?何をいってるの?」ってなもんです。
そこでこの記事では、
- この世界は本物ではないのか
- もし仮想現実だったら何が変わるか
など、「われわれが住むこの世界が仮想現実なのかどうか」について書きました。
ぜひ参考にしてみてください。
われわれが住むこの世界は仮想現実なのか
私たちは、この世界を本物の世界だと思って生きています。
ですが、 ほんとうの私たちは、頭に装置を取りつけられて眠っているのかもしれません。
そして現実だと思っているこの世界は、本物の私たちが見ているただの夢、つまり仮想現実に過ぎない、というのが「この世界は仮想現実なのではないか」という考えです。
目が覚めれば仮想現実から、ほんとうの現実へと戻るわけです。
目が覚めるというのは、この世界では「死ぬこと」を意味しています。
つまり、この世界で命を落としたら、ほんとうの自分が現実の世界で目覚める、というわけです。
だいふSFチックな発想ですが、誰もこの考えを否定することはできません。
多くの方は「そんなことあり得ない」と思うでしょうが、「ありえない」といえるだけの証拠がない以上、否定もできないわけです。
悪魔の証明のようなもの
「仮想現実かもしれない」という考えは、まさに悪魔の証明だといえるでしょう。
悪魔の証明とは、この世に悪魔が存在しないと証明するのが不可能であることを意味します。
悪魔が存在することを証明したければ、悪魔を捕まえ、「ほら、悪魔はいるでしょ」と人々に見せるだけで済みます。
「ほんとうだ、悪魔って存在したんだね」ってなもんで、証明完了です。
ところが、「この世に悪魔は存在しない」と証明することはできません。
どこかに悪魔がいる可能性をすべて否定するのは不可能だからです。
悪魔は南極大陸にいるかも、富士山8合目にいるかも、地下に棲んでいるかも。微生物のように小さいかも。
この世界は仮想現実かもしれないという考えも、悪魔の証明とおなじで、否定することはできません。
この世が仮想現実の可能性はある、ということです。
映画『インセプション』の世界観
ところであなたは、映画『インセプション』を観たことがあるでしょうか。
『インセプション』はあなたにぴったりの作品です。
なぜなら、夢の世界を舞台にした映画だからです。
『インセプション』は、ここまで述べてきたことを映像化した作品だといって良いでしょう。
主人公たちは、現実世界と夢の世界(仮想現実)を行き来します。
作品を観ているうちに「この世界も仮想現実かもしれないぞ」とあなたは思うかもしれません。
ぜひ一度、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を鑑賞することをおすすめします。
作品の世界観を気にいるはず。
まとめ
この世界が仮想現実なのか、本物の現実なのかは誰にもわかりません。
死んだら目が覚め、ほんとうの現実世界に意識が戻るのかもしれません。
そして、「あれは仮想現実だったのか」と気づくわけです。
あるいはこの世界が本物の世界であって、死後は無に還るだけかもしれません。
答えがどちらなのかは不明です。
なぜなら、死後を知っている人がこの世に存在しないからです。
不明だからこそ、この世界で精一杯生き、悔いのないよう人生を全うすべきではないでしょうか。
「どうせこれは仮想現実だから」などとSFチックな考えにとらわれ、人生をないがしろにするのは損です。
ただの現実逃避でしかありません。
ひょっとすると仮想現実逃避かもしれないが。
ここが仮想現実だったとしても、努力は無意味ではないはずです。
死後に意識が戻り、真の現実世界で生きるようになったとき、この仮想現実で培ったスキルやノウハウが役に立ち、またしても活躍できることでしょう。
以上、われわれが住むこの世界は仮想現実なのか、でした。
結論。仮想現実の可能性は否定できないが、なんにせよ大事なのは、精一杯生きることだ。
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本書にある死に方をしないようご注意ください。
この世界をもっと長く楽しみたい方には、こちらの本がおすすめです。
知っていることで避けられる「死」」が世の中には存在するのです。